33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
内田樹インタビュー:ネット時代の共生の作法、他
2014-09-07 Sun 00:00
一部をサンプルとして抜き出してみたが、それ以外の部分も全部おもしろい。

・内田樹:ネット時代の共生の作法
「携帯やネットを利用する人たちの間で情報リテラシーの二極化が急速に進行していると思います。
一方に良質な情報を選択的に享受できる人たちがおり、他方にジャンクな情報やデマゴギーを大量に服用させられている人たちがいる。その階層化は、情報量の差によってではなくて、目の前の情報のクオリティを判定できる能力の差によってかたちづくられています。「情報についての情報」をどれだけ持っているかによって情報社会の強者と弱者は差別化されます。
「情報についての情報」、メタ情報とは言い換えると、自分自身の「知のありよう」についてのマップを持っているということです。自分は何を知っていて、何を知らないのかについて俯瞰的に見ることができるということです。図書館の案内図と同じです。どこの書架に行けばどの情報を得られるかを知っている人は、自分が今持たない情報についても必要なときにアクセスできる。それは「潜在的にはすでに知っている」ということに等しい。
情報格差を形成するのは「今所有している情報」の多寡ではなく「潜在的に所有している情報=いつでもアクセス可能な情報」の多寡です。情報弱者というのは、自分が知っていることが知の布置全体のうちのどこに位置づけられるのかを言えない。自分の持っている情報についての客観評価を下す足場を持っていない。
全員が同じような情報へのアクセス能力を配分されたあと、今度はこの情報検索能力をどう使うか、その技術が問われることになった。
「情報についての情報」という次数が一つ高い情報はただキーボードを叩いて検索しただけでは手に入らない。これは誰も教えてくれない。マニュアルも、入門書もない。こればかりは身銭を切って、自力で獲得するしかない一種の身体知です。どういう人間が信用できるかできないかの判定は一種の身体知ですから。現実生活で会得するしかない。ネット空間には転がっていないし、金で買うこともできない。でも、この「情報についての情報」こそが情報時代における死活的に重要な知的資源なのです。

サッカーとか、ワールドカップの様子を見ていると、「日本戦見てない奴は非国民」みたいな攻撃的な同調圧力が異常に高まっていましたね。全員が同じものに、同じように熱狂することを強制する。この同調圧力がこの20年くらいどんどん高まっている。
均質化圧と同調化圧。それはやはり学校教育のせいなんだと思います。学校はどこかで子どもの成熟を支援するという本務を忘れて、子どもたちを能力別に格付けして、キャリアパスを振り分けるためのセレクション装置機関になってしまった。
子どもたちを格付けするためには、他の条件を全部同じにして、計測可能な差異だけを見る必要がある。
問題は「差異を見る」ことじゃなくて、「他の条件を全部同じにする」ことなんです。みんな叩いて曲げて同じかたちにはめ込んでしまう。そうしないと考量可能にならないから。同じ価値観を持ち、同じようなふるまい方をして、同じようなしゃべり方をする子どもをまず作り上げておいて、その上で考量可能な数値で比較する。
見落とされているのは、この均質化圧が財界からの強い要請で進められているということです。
でも、学校教育を受けることの目的が自己利益の増大だと考えている限り、知性も感性も育つはずがない。人間が能力を開花させるのは自己利益のためではなくて、何度も言っているように、まわりの人たちと手を携えて、集団として活動するときなんですから。でも、今の学校教育では、自分とは異質の能力や個性を持つ子どもたちと協働して、集団的なパフォーマンスを高めるための技術というものを教えていない。共生の作法を教えていない。それが生きてゆく上で一番たいせつなことなのに。」

・内田樹:「若者よマルクスを読もう2」まえがき
「日本はその中にあって、ほんとうに例外的な国なのです。マルクスの全著作どころか草稿までも翻訳されており、それについての膨大な研究書があり、かつマルクスの理想の実現を掲げる政党が国会に議席を持っている。そんな国は世界中を眺め回しても、もう日本とフランスくらいしかありません。研究分野だけに限れば、イギリスもドイツも高い水準を達成していますが、どちらの国でも「マルクス主義政党」は国会に議席を持ちません。
このような本が合法的に出版されて、書店の店頭に配架され、中学生や高校生が手に取って読めるというような言論環境の社会は世界でも例外的であるということを僕たちは心にとどめておいた方がいいと思います。それは言い換えると、マルクス研究と、その理論の現実化については、僕たち日本人だけにしかできない仕事があるかもしれないということです。
仏教がそうでした。発祥の地インドでは宗派そのものが消え去り、中国でも韓国でも道統が衰微したけれど、歴史的には最後に流れ着いた日本列島において仏典の整備も教義の研究も制度革新も進められた。そして、今日本が世界の仏教研究の中心地になっている。
マルクス主義もあるいは仏教と同じような運命をたどるのかも知れません。発祥の地では消滅し、それを掲げて立国した国が変質し、それを掲げた政党がさまざまな失敗を犯し、それが流れ着いた辺境においてだけ細々と棲息している。」
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