33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
「基本法則は単純ですが、世界は退屈ではない。」
2015-07-19 Sun 00:00
・大阪市立大学:南部 陽一郎 特別栄誉教授・名誉教授がご逝去されました

・大栗博司:南部陽一郎先生

南部陽一郎氏は2008年のノーベル賞受賞講演を「基本法則は単純ですが、世界は退屈ではない。なんと理想的な組み合わせではありませんか」という言葉で結んでいる。言っていることは単純だが、自発的対称性の破れのおかげで世界が今のように複雑・多様になってくれたおかげで、自分もその謎解きに没頭できて楽しいということを言われていたのだと思う。

7月5日、南部先生が94歳で亡くなられた。その業績を評価するのにノーベル賞ではあまりに物足りないが、それでも長生きされて受賞されたのはよかったと思う。

1309252.jpg『素粒子論の発展』もあのあと頓挫中。
別窓 | 物理ネタ | コメント:14
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この記事のコメント
南部先生は伝説の人になられたので、ずっとずっと長生きしてほしかったですが、それでも最低限の長生きはされたので、良かったです。

 大阪市大の理学部壁は面白いですね。一部だけずれて固まっているのがカワイイです。

 かすてんさんは難しそうな本を持っていらっしゃいますね。これは論文選集の要約のようなものでしょうか。私は、『クォーク第2版』を最近買って読みました。これも、素粒子物理の発展の歴史がびっちり真面目に書いてありますね。
2015-07-19 Sun 19:14 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>大阪市大の理学部壁は面白いですね。一部だけずれて固まっているのがカワイイです。
 どこどこ?

 久しぶりにあっち方面へいく機会がありそうなので、市大も見てこようかと思いますが、阪和線は高架になって、駅周辺も様変わりして、きっと浦島太郎気分に浸れると想像しています。

>『素粒子論の発展』
 講演や雑誌掲載の解説記事36本を収録した内容で、易しくはないですが、わかるところもあります。
2015-07-19 Sun 22:02 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>カワイイです。 どこどこ?
ご引用の大阪市大のwebページの写真の一番下の写真で、壁に碁盤の目状に取り付いている三角形の向きが左上の一角だけがアサッテの方向を向いているのが、教室で少し問題のある生徒のグループの席が固まっているようでカワイイです。(磁区のイメージなんでしょうけどね)
 (注:この写真を拡大表示しないとわかりません)

 住吉区杉本のほうへは行ったことはありませんが、今年の春に梅田の大阪駅前ビルにある市大キャンパスに行きました。ということで、市大の先生方には直接的にお世話になっております。

>『素粒子論の発展』 ~易しくはない
講演集が含まれているのですか。
南部先生の講演は、一度しか聴いたことがありませんが、物理の内容を真面目に取り上げるものでしたから、易しくはないでしょう。小林誠先生の講演もそうで、一般向けでも物理の内容の手を抜かれることはありません。
 益川先生の話は、昔話が多いので、年配の人にはわかりやすいと思います。この先生が本気で素粒子の話を始められると、わかる方はごくごく少しになりますのでこれはありがたいです。
2015-07-20 Mon 08:04 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>左上の一角だけがアサッテの方向を向いている
 あそこの部分のことですね、わかりました。

>梅田の大阪駅前ビルにある市大キャンパス
 梅田キャンパスというのができているのですね。昔は、本部のある杉本キャンパスと医学部のある阿倍野キャンパスでした。

>南部先生の講演
 私も学生時代に1度聞く機会がありました。南部先生が何かの賞を受けられた機会に市大へ来られたときでした。普通は賞はそれを受けたものに権威を与えますが、う〜ん、この場合は南部先生に受けてもらえたことで、賞の権威が高まったはずです。
公園の内容は忘れましたが、素粒子物理学の展望に関する内容だったと思います。
2015-07-21 Tue 22:36 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>梅田キャンパス
 キャンパスといっても、大阪駅前第2ビルの2フロアだけです。学科1つぶんくらいの規模です。でも、地代は高いでしょうね。市立だから安くで借りれるのかもしれません。

>南部先生の講演
 それは良いチャンスでしたね。ノーベル賞以前に南部先生のお話を日本で聴けることは稀だったと思います。
 1978年は文化勲章受賞でした。確かに、文化勲章の値打ちはもらう人によって上がりますね。ノーベル賞を受賞した人にあとから文化勲章を与えることがありますが、あれは受賞する人のためというより、勲章を授ける側のためと言えそうです。南部先生の場合は、文化勲章のほうが30年も早かったので、権威が相当高まったでしょう。
2015-07-22 Wed 08:51 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>キャンパスといっても、大阪駅前第2ビルの2フロアだけです。学科1つぶんくらいの規模です。
 市大はもともと規模が小さいです。私の時代、理学部は1学年数学科20名、物理学科20名、化学科20名、生物学科15名、地学科8名でした。現在は1.8倍くらいになっているみたいです。

>ノーベル賞以前に南部先生のお話を日本で聴けることは稀だったと思います。
 1978年の文化勲章でしたね。還暦前でまだ若々しかったです。
2015-07-22 Wed 12:02 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>理学部は1学年数学科20名、物理学科20名、化学科20名、生物学科15名、地学科8名でした。
 
  この定員で、試験日が国立と違うと、競争率がべらぼうに高くなりますが、そういうことはしてなかったですかね。
現在では、国立も2次募集みたようなことをして複雑になっています。
2015-07-22 Wed 20:39 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
市大は国立一期校と同じ日程でした。それでも倍率は高めでしたね。学費が国立よりも安かったことも理由だと思います。私が入った時、私は市外者なので入学金が72000円、年間学費が36000円でしたが、市内のヨメさんは学費12000円でした。その年から値上げされていたので、浪人していなければ私も年間12000円でした。市内ならば9000円だったと思います。
2015-07-23 Thu 06:08 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>市大は国立一期校と同じ日程、それでも倍率は高め
 なるほどそうでしたか。関西では、国立以外で理学部の学科がちゃんとそろっている数少ない貴重な大学でしたので、そういうポリシーにも主張があったのだと思います。また、一期校と同じにしておくと、辞退者が減って読みやすくなる利点がありますね。受験生側から見た利点は、授業料のほかに、大阪市に期待するところもあったのでしょうか。

 現在でも、前期日程に重点をおいていますので、国立と変わらないようです。今も人気が高いのでしょう。2次募集枠を考えることもないでしょうね。
2015-07-23 Thu 06:26 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>関西では、国立以外で理学部の学科がちゃんとそろっている数少ない貴重な大学
 定員規模は小さいですが、学部学科のバラエティは一流でした。学部学科が多いので教官人数が多く、学生は少ないという魅力的構成でした。私はそんなところにも惹かれました。市大だけでは高度な実験設備は持ちかねますが、自前の宇宙線研究所を解消して発展的に東大宇宙線研究所へ集約させたのは共同研究施設が充実していく時代の先鞭だったのではないかと思います。

>2次募集枠
 2次、2部(文系)もありました。少なくとも理学部では募集定員を若干オーバーして入学させていましたから2次は実際には募集していなかったと思います。
2015-07-23 Thu 08:31 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>募集定員を若干オーバー
 最近は、水増しも、定員割れも国ににらまれてまずいようですね。何度も入試をしないといけないのでご苦労なことです。

 地方の国公立など、3月後半に2次募集をかけると、センター入試は良かったけど、2次(大学ごと)で不具合があった優秀な学生が来ることが期待できるみたいです。昔は一発だったのに受験シーズンが長くなりました。
2015-07-23 Thu 18:41 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>最近は、水増しも、定員割れも国ににらまれてまずいようですね。何度も入試をしないといけないのでご苦労なことです。
 そうなのですか。定員20名のところに23名くらいいたと思います。すぐに転科した者、退学した者で結局定員くらいになりましたが。

>昔は一発だった
 一期校・二期校時代は2次試験は無かったのでしたっけ?あったような気もしますが、、、。時期がダブって混乱しているのかな。
2015-07-24 Fri 08:39 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
> 一期校・二期校時代は2次試験は無かったのでしたっけ?あったような気もしますが、、、。

 国立はたいていはなかったです。難関校や競争率の高い所は2次として小論文とか面接とかやっていました。そもそも、当時、2度も試験を受けに行くのはたいへんです。大阪市大は、地元の人が多くて競争率も高かっただろうからあったかもしれません。2期校は入試が3月20日過ぎてからでしたら、時期的に2次は無理だったと思います。
2015-07-24 Fri 11:55 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
2次試験は視野の外だったので記憶が曖昧です。
2015-07-24 Fri 20:40 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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